ヴァイシャリーは、熱心な仏教信者にとって特別な意味を持つ場所である。コルーアでは、ブッダが現世からの旅立ちがいよいよ差し迫ったことを示唆す説法を初めて行われ、後にアショカ王が、ブッダの最期の説法を記念してこの地に巨大な石柱を立てている。 ブッダの入滅から100年後に第二回目の仏教徒会議が開催され、ヴィナヤ(律蔵)の10の要点が討議された場所でもある。
またヴァイシャリーは、選挙によって選ばれた代表者達が統治を行なった、世界最初の共和国と伝えられている。かつて国会議事堂だったラージャ・ヴィシャル・カ・ガールが発掘され、その姿は紀元前6世紀にこの地に栄えた共和国を偲ばせる。
ヴァイシャリーは、華麗なダンサーでもあり遊女でもあったアムラパリが暮らした地としても有名。アムラパリは、ブッダにマンゴー園を進上し、後にブッダの教えに感銘して尼僧になったという。
マウリヤ王朝のアショカ王は、統治するマガダ国内にアショカピラーを数多く建てた。 しかし、オリジナルのまま2300年あまりの年月を経たものは少ない。 ピラーの上に一頭の獅子がストゥーパの方を向いて座っている。周りには奉献ストゥーパがたくさんある。 ブッダが法を説いた重閣講堂の場所もこのあたりだろうと言われている。
ヴァイシャリーの遺跡では、棺に仏舎利(ブッダの遺灰)の一部を納めた、レンガ造りの第一・第二仏舎利塔(紀元前4世紀)が発掘されている。
その他のヴァイシャリーの史跡には、陰茎の形にシヴァ神の4つの顔が彫られたチャウムキー・マーハデーヴァや、一箇所に幾多のヒンドゥーの神々を祀り崇めるバワン・パカールの寺院、リチャヴィ朝の王達が即位式に臨む前に沐浴した池、また小規模だが、この地の手工芸品を展示するヴァイシャリー博物館がある。
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