第五の聖地
サヘート・マヘート

井戸
サヘート・マヘート(旧シュラバスティー)とは遺跡群の総称で、今はこの遺跡が祇園精舎跡とされている。

祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シュラバスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったという。

大勢の弟子を率いるブッダは、シュラバスティーを訪ねる。
この土地の長者スダッタは仏教に帰依し、ぜひシュラバスティーで説法をしてほしいと頼んだ。ブッダがそこには僧園があるだろうかと尋ねたので、スダッタは素晴らしい場所に精舎を建てようと思い立ち、調査する。
結果、ジェータ太子の持つ丘が風光明媚で水も清く、一番素晴らしかったので、太子にその土地を売ってほしいと頼む。しかし何度頼んでも太子は許可せず、しまいには、そんなに丘がほしいなら丘に黄金を敷き詰めろと言い出す始末。
それでもスダッタは言われたとおりに土地に黄金を敷き詰めたのだ。
驚いた太子はスダッタに理由を尋ねて大いに感心して土地を譲り、自らも樹木を贈るなどして僧園の建設に協力した。
そしてスダッタは祇園精舎を寄進したのである。

ここを拠点にしてから布教活動は飛躍的に拡大し、宗教家や王族はもちろん、一般大衆も仏教に帰依するようになった。
ブッダはここで、24回の雨季に渡り長く時を過ごし、雨安居(雨季を屋根のある場所で過ごすこと)の説法を続けた。この精舎と竹林精舎(ラージギール)に滞在しながら、ブッダはその教えを多くの人々に伝えたのである。

祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。ジェーダ(祇陀)太子の園林で「祇樹」、「給孤独(孤独な人々に食を給するの意)」はスダッタの別名である。この言葉が中国を経て日本に伝えられたようだ。
源蔵法師が7世紀に訪れたときにはすでに廃墟となっていたという。三蔵が訪れたときには恐らくうらびれて寂しい様子だったのだろう。
現在は公園になっているが、以前訪れた方に聞くと、こんなに整備されていなかったそうである。
インドはお釈迦さまの仏跡を非常によく管理している。